『瀬川小児神経学クリニック』は、1973年(昭和48年)、瀬川昌也先生により開業された、日本で初めての小児神経専門のクリニックです。当時、瀬川先生は37歳。東大小児科医局で小児神経学の研究に専念されたのち、これまでの小児病院を小児神経専門のクリニックにする形で受け継がれました。「個人クリニック」という形態で開業したことについては、「神経疾患が、子供病院や一般病院の小児科では経時的に症状を追跡しづらい」 という理由を含んでおり、その点において「治療と研究との総合的な医療センターとなることが目的で、そういった意味でも、クリックは自由が利く」と話されています。クリニック内は、ゆとりのある広々とした空間となっており、そこには「車椅子の方にも不便がないように…」という先生の配慮が込められた設計に気づくことができます。当時から患者さんのほとんどは紹介、遠く日本各地から「先生の診療を」と来院される方が多かったことからも、決して診療内容だけでなく、常に親身な姿勢で向き合う先生のお人柄によるものでした。
時をほぼ同じくして、瀬川先生が東大時代に発表(1971年)された小児疾患の症例が、『瀬川病』として知られるようになったのもちょうどこの頃です。『瀬川小児神経学クリニック』は、国際的な小児神経のクリニックとなりました。開業当初より、クリニックでは、先生を中心に様々な研究を行っていましたが、なかでも「終夜脳波」は週1回の頻度で実施され、「瀬川病」「チック(トウレット症候群)」「自閉症」「レット症候群」などの病態解明を懸命に研究。さらには、「福山型筋ジストロフィー」「重症筋無力症」「ダウン症候群」「頭痛」「てんかん」などの小児神経疾患の基礎を作られながら、『日本小児神経学会』の創設にも関わる(のちに栄誉会員に)など、精力的に研究と治療を重ねていかれたのです。
そして、そのようにお忙しい中でも、常に後進の育成に目を向け続けられたことも、瀬川先生を思い返す中で、大切なエピソードです。中でも、毎年開催される日本小児神経学会では、海外の先生方の講演を支援され(瀬川プログラム)、学会後には、ご自身の邸宅敷地内に立つ本郷瀬川ビルでカンファレンスを実施。これは、先生が幼少期から育った瀬川邸を「Coffee break」と称して訪れることが出来る機会でもあったため、海外の先生方も大変感激されている様子でした。その他、定期的に「SNCCカンファレンス」を企画してくださったことも、後輩が勉強をする貴重な機会となったことは言うまでもありません。事実、瀬川先生が院長をされていた2014年までの期間、クリニックでは、多くの先生方がともに臨床研究をし、研修を経て、現在は国内外で目覚ましい活躍をされています。
現在、この瀬川先生が人生をかけて尽くされた『瀬川小児神経学クリニック』は、2014年より、門下生でもあった星野恭子理事長のもと、『医療法人社団 昌仁醫修会 瀬川記念小児神経学クリニック』として再出発しました。法人名の「昌」の字は代々瀬川家が継承されているお名前の一文字から、「仁」の字は昌也先生のご位牌からいただき 、今後も「醫」を修行し続けるという意味で名づけました。現在も、ほとんどの患者さんが瀬川昌也先生を偲びながら、この新クリニックでの診療を希望され、そのまま診療を受けられています。