「瀬川病」の発見、それは、ある4歳の少女の診察が始まりでした。瀬川昌也先生が、東京大学の医学部を卒業し医局で小児神経外来を担当していた頃です。その親子は「なぜか、夕方になると歩行ができなくなる」という相談で外来を受診。診察をすると、「午前中よりも、午後に足の筋緊張の亢進が強くなる症状」を呈していました。しかし、その症状は「眠ると改善する」とのこと。「うちの子は寝相が良い」というお母様の話を参考に、全身に筋電図を装着した終夜ポリグラフ検査を実施。体動やレム睡眠の発現に異常があることを発見しました。
さらに検査を進めるうちに、L-ドパ(ドパミンを増やす薬)を投与すると、きれいにその症状が改善することから、「ドパミン神経が低下する大脳基底核の病気ではあるが、当時研究が進んでいた成人のパーキンソン病とは明らかに違う」と診断。〈新しい子どもの神経の病気〉と考え、1971年に『L-dopaが著効を呈した小児脳基底核疾患 ―著明な日内変動を呈する遺伝性進行性脳基底核疾患―』として、論文を発表。これが「瀬川病」の第一例目となり、当時の学会で発表、世界に認められました。
その後の研究においても、ドパミンの代謝と関連する、髄液中のバイオプテリン、ネオプテリンが異常であること、さらに、白血球中のモノアミンの酵素の一つであるGTPシクロハイドラーゼⅠの活性が低いことも判明。1994年に一緒に研究をされていらした一瀬宏教授(現東工大、当時 藤田衛生保健大学)が、GCHⅠの遺伝子異常を発見し『Nature Genetic』に掲載されています。
なお、『瀬川病』は、別名を「著明な日内変動を呈する遺伝性進行性ジストニア(Hereditary progressive dystonia with marked diurnal fluctuation=HPD)」あるいは「dopa responsive dystonia 5 =DRD5」とされています。瀬川先生は、「病名に人の名前がついても病気がわからないので良くない」と憚られていた、とうかがっていますが、今では『瀬川病(Segawa Disease)』が最も広まっている診断名となっています。
『瀬川病』の主症状
瀬川病の症状は、足が内側に入って上手く歩けない、手足が緊張して思うように動かすことが出来ない、姿勢が曲がってしまう、姿勢を保てない、手が震える、首が震える、止めようとしても手足が動いてしまう等があります。発症年齢は、典型的な方は、幼児期に発症することが多く、学童になると症状が強くなり、日内変動(朝調子は良いが夕方に悪くなる)を呈することが特徴です。瀬川病の場合、L-ドパの投与で多くの例は改善します。思春期以降、効果が減弱し、L-ドパ・カルビドパ合剤に薬の変更をすることもあります。